旧陸軍計根別第一飛行場1号有蓋掩体

別海町歴史文化遺産 第16号

旧陸軍計根別第一飛行場1号有蓋掩体

旧陸軍計根別第一飛行場1号有蓋掩体

  • 認定区分 有形文化財
  • かな名称 きゅうりくぐんけねべつだいいちひこうじょういちごうゆうがいえんたい
  • 認定年月日 令和3年11月12日
  • 所在地 別海町本別34番7・8
※本遺産のある牧草地内には立ち入らないでください。
本物件は、1942~43年頃に陸軍計根別第一飛行場敷地内に築造された、コンクリート造有蓋掩体です。掩体とは、敵の攻撃から自軍の戦闘機を守るための軍事施設のことで、計根別第一飛行場跡には3つの有蓋(天井あり)掩体と4つの無蓋(天井なし)掩体の現存が確認されています。

大きさは幅約34メートル、高さが約5メートル、奥行約22メートルで、天井部がドーム型をしています。鉄筋が確認され、型枠として板を使って造られています。また、コンクリート内にはホタテの貝殻が混入し、コンクリート資材の不足を地元のホタテ貝で補っていたことがわかります。

戦後、米軍によって掩体を含む軍事施設が破壊され、また土地が民有地に戻されてからは土地所有者によって撤去が行われましたが、費用や労力の問題からその一部は現在に至るまで残されてきました。

本町、とりわけ本別地区の歴史に深く関わる戦争遺跡であり、先の戦争の記憶を風化させないためにも、本物件は後世に伝えるべき重要な遺産です。

(参考)陸軍計根別飛行場について
 計根別飛行場は本別・大成地区の第一飛行場の他、第二(上春別開進)、第三(中西別栄進)、第四(西春別駅前33区)、第五(本別)の計5つの飛行場から成る、日本陸軍最大規模の飛行基地であった。米軍による本土攻撃に備えるため、1942年頃から本格的な工事が始まり、1944年2月にほぼ完成した。飛行場建設予定地の住民たちは、苦労して開墾した土地からの立ち退きを余儀なくされた。建設に当たっては、国鉄標津線(標茶―根室標津間)が建設物資輸送に昼夜問わずフルに使われ、工事現場の労働力として地元の人はもちろん、旧制釧路中学校(現釧路湖陵高等学校)の生徒までも動員されたほか、とりわけ朝鮮人・中国人が過酷な労働を強いられて多くの死者が出た。1945年7月14日の米軍による空襲時には、戦術上の理由から一機も迎撃に出撃しないなど、その規模に見合う成果を上げることなく、敗戦を迎えた。戦後、広大な飛行場敷地は民間に戻され、現在ではその大部分が牧草地に生まれ変わったが、格納庫や誘導路、そして掩体など、軍事施設のごく一部が現在も撤去されずに残っている。